昆布おじさんの独り言【僕の昆布屋人生は、どこから始まった?】
公開日:2026/09/04 更新日:2026/10/29今日は商品のお話ではありません。
古いアルバムを見ていたら、懐かしい写真が何枚も出てきました。
写真を眺めているうちに、
「僕の昆布屋人生は、いったいどこから始まったんやろ?」
そんなことを考えました。
父は、もともと職業軍人でした。
この写真に写っているのは、僕の父・上(のぼる)です。
戦争が終わり、そこから父が始めた商売が昆布屋でした。
昆布屋の家に生まれたわけでもありません。
昆布について特別な知識があったわけでもありません。
ですから当時、大阪の老舗昆布屋さんからは、
「素人昆布屋」
そんなふうに見られていたそうです。
でも、父はそこで引き下がりませんでした。
昆布が分からないなら、昆布のあるところへ行けばええ。
そう考えたのでしょう。
父は一人で北海道へ渡り、昆布の産地を自分の足で歩き回りました。
今のようにインターネットもスマホもありません。
浜へ行き、昆布を見て、触って、現地の人の話を聞く。
そうやって父は、一から昆布を覚えていったのです。
この写真を見ると、
「ほんまに親父は北海道中を歩いてたんやなぁ」
と思います。
「素人昆布屋」と言われた男が、自分の足と自分の目を頼りに、昆布屋になっていったんでしょうね。
父ががむしゃらに作った昆布屋の土台。
その土台を、さらに頑丈なものにしてくださった人がいます。
僕の昆布人生の大師匠・上山さんです。
この小さな坊主が、後に昆布屋になって、55年も昆布を追いかけるとは……。
この頃の僕は、夢にも思っていなかったでしょうね(笑)。
そして年月が流れ、僕は上山さんから昆布について、本当にたくさんのことを教わりました。
僕がこの写真を好きなのは、上山さんが実際に昆布を手に取って、自分の目で確かめているからです。
上山さんから教わったのは、昆布の知識だけではありません。
昆布を見る目。
現場を見ること。
そして、昆布屋として仕事に向き合う姿勢。
父が作った土台がありました。
そこに上山さんが、本物の昆布屋としての知識と経験を積み重ね、頑丈なものにしてくださいました。
そして、その上に今の僕があります。
父と上山さん。
この二人がいなかったら、僕の55年の昆布人生はなかったと思います。
もう一枚、最近の写真を見てください。
北海道の昆布の干場にいる僕です。
父の写真と並べて見てください。
僕は思わず笑ってしまいました。
「親父と僕、ほとんど同じ格好してるやん(笑)」
何十年も離れた二枚の写真です。
父は白黒。
僕はカラー。
着ている服も違います。
時代もまったく違います。
それなのに、昆布の前にしゃがみ込んで、昆布を見ている姿がよう似ています。
やっぱり、血は争えませんね。
考えてみれば、僕も昆布のことで分からないことがあれば、産地へ行きたくなります。
人から聞いただけでは、どうも納得できない。
自分の目で見たい。
自分の手で触りたい。
自分で確かめたい。
父が一人で北海道を歩き回ったように、僕も北海道の浜へ何度も足を運んできました。
意識して真似をしたつもりはありません。
でも写真を見ると、
「結局、親父と同じことやってるなぁ」
と思います。
そして、それは父だけではありません。
上山さんも、昆布を手に取って自分の目で確かめていました。
父から上山さんへ。
上山さんから僕へ。
言葉だけではなく、昆布に向き合う姿勢そのものが受け継がれてきたのかもしれません。
気がつけば、僕も75歳になりました。
昆布の世界に入って55年です。
父や上山さんから教えてもらったものを、そのまま守ることも大切です。
でも僕は、それだけではあかんと思っています。
時代が変われば、食卓も変わります。
昔ながらの昆布の良さを大切にしながら、今の時代に合った昆布の食べ方も考えていきたい。
昆布を、
「だしを取るだけのもの」から、
「もっと毎日の食卓で食べてもらえるもの」へ。
それが、これからの僕の仕事やと思っています。
もし親父が今の僕を見たら、何と言うでしょう。
「お前、まだ昆布のことやってるんか」
と言うかもしれません。
その時は、僕もこう返します。
「最初に始めたんは、親父やろ(笑)」
職業軍人から昆布屋になった父。
父が作った土台を頑丈にしてくださった大師匠・上山さん。
そして、その上を55年間歩いてきた僕。
古い写真を見ながら、
「昆布屋という仕事も、人から人へ受け継がれていくもんなんやなぁ」
と、改めて思いました。
親父、上山さん。
もう少しだけ、僕もこの道を歩いてみます。