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飲食店開業物語 第1章 店の鍵を受け取った日

公開日:2026/07/10 更新日:2026/07/10

第1章 店の鍵を受け取った日

鍵を回すと、「カチッ」という小さな音がした。 その音にしては、背負っているものが少し大きすぎる気がした。 扉を開けると、まだ何もない店の中に、朝の光が差し込んでいた。 壁は白い。 床も新しい。 カウンターはある。 けれど、厨房には冷蔵庫も作業台もない。 あるのは、壁から出たコンセントと、水道の蛇口。 そして、使い方の分からない空間だけだった。 「本当に、ここで店を始めるんだ」 店主は受け取ったばかりの鍵を握りしめ、誰もいない店内でつぶやいた。 頭の中では、すでに営業が始まっていた。 鍋から湯気が上がり、皿が並び、お客様の話し声が聞こえる。 自分が作った料理を食べた人が、少しだけ元気になって帰る。 そんな店を、ずっと作りたかった。 しかし、現実の厨房は驚くほど静かだった。 開店まで、あと三十日。 店主は持ってきたノートを開いた。
必要そうなものを書き出していくと、ノートの一ページがあっという間に埋まった。 「店って、料理だけできても開かないんだなあ」 メニューを考えていたときは楽しかった。 内装の色を決めていたときも楽しかった。 しかし、厨房機器の価格を調べ始めると、笑顔は少しずつ消えていった。 新品ですべてそろえると、用意していた予算を大きく超えてしまう。 数字を何度計算しても、予算が急に増えることはなかった。 電卓は、いつも正直だった。 そこで店主は、中古厨房機器を調べ始めた。 年式、型式、電源、容量、外形寸法。 知らない言葉が次々に出てくる。 一台の冷蔵庫を買うだけなのに、試験を受けている気分だった。 それでも、ページを一つずつ見ていくうちに、少しずつ分かってきた。 中古なら、予算を抑えながら必要な機器をそろえられるかもしれない。 その分を、食器や看板、最初の仕入れに回すこともできる。 店主は空っぽの厨房に立ち、もう一度店内を見渡した。 何もない。 けれど、何もないからこそ、これから一つずつ選べる。 冷蔵庫をどこに置くか。 作業台をどこに並べるか。 どこで仕込み、どこから料理を出すか。 空っぽの厨房は、少し不安で、少し自由だった。 店主はノートの一番上に、大きく書いた。 「まず、冷蔵庫を決める」 それが、店づくりの最初の一歩になった。