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飲食店開業物語 第8章 開店前夜

公開日:2026/07/10 更新日:2026/07/10

第8章 開店前夜

開店前日の夜。 店主は、一人で店に残っていた。 冷蔵庫には、明日使う食材が並んでいる。 作業台の上には、包丁、まな板、調味料。 食器棚には、何度も選び直した皿とカップ。 少し前まで何もなかった厨房に、必要なものがそろっていた。 店主は仕込みを終え、カウンター席を一つずつ確認した。 椅子はまっすぐ並んでいる。 メニューも置いた。 入口の看板には、明日の開店時間が書かれている。 準備はできている。 たぶん。 「たぶん」が付くあたりに、店主の不安が残っていた。 お客様は来てくれるだろうか。 料理を待たせすぎないだろうか。 注文を間違えないだろうか。 冷蔵庫は、明日もきちんと冷えてくれるだろうか。 考え始めると、心配は次々に増えた。 厨房機器を選んでいたころは、機械がそろえば安心できると思っていた。 しかし、そろったらそろったで、今度は店を開けることが怖くなった。 人の不安は、空いた場所を見つけるのが得意だった。 店主はコンロに火をつけ、小さな鍋でスープを温めた。 明日お客様に出す予定のスープ。 一人分を器に注ぎ、客席へ運ぶ。 そして、店の一番端の席に座った。 自分の店で、自分が最初のお客様になった。 スープを一口飲む。 少し塩が足りない気がした。 厨房へ戻り、ほんの少しだけ味を調整する。 もう一度飲む。 今度は、いつも作ってきた味だった。 店主は店内を見渡した。 完璧ではない。 新品ではない厨房機器もある。 小さな傷のある作業台もある。 カウンターの端には、塗装が少し薄い場所もある。 けれど、どれも自分で選んだ。 予算を考え、店の広さを測り、人の動きを想像しながら一つずつ決めた。 この店は、誰かが完成させて渡してくれたものではない。 迷いながら、自分で作った店だった。 店主は、最後に冷蔵庫の温度を確認した。 問題ない。 電源も確認した。 戸締まりもした。 店の照明を消す前に、厨房を振り返る。 冷蔵庫の小さな運転音だけが聞こえた。 「明日から、よろしくね」 機械に話しかけるのは少し変かもしれない。 でも、店主は本気だった。 入口の鍵を閉めた。 最初にこの鍵を受け取った日から、二十九日。 明日、この店に最初のお客様が来る。