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"女房を質に入れてでも"──江戸っ子が狂った初鰹

公開日:2026/08/14 更新日:2026/10/12

鰹はどんな魚?

鰹はスズキ目サバ科の魚。英語名skipjack tuna 回遊魚で、体は遊泳力に優れた紡錘形。体長は大きいもので約1mにまでなりますが、通常漁獲されるのは50cm前後のものが多いです。体色は背側が濃青色、腹側は銀白色。鱗は背ビレから胸ブレまでの部分を残して退化しており、背ビレはわずかに離れて2基あり、サバ特有の離れビレは、背ビレの後方に8基、尻ビレの後方に7基あります。腹側に数本の暗色縦縞が見られますが、これは水揚げ後に表れるもので、生きている時は興奮すると横縞が浮き出ることがあります。

鰹はどこにいる?

鰹は北緯40度から南緯40度の海洋、太平洋・インド洋・大西洋の熱帯から温帯水域にかけて広く分布しています。適水温とされるのは19℃~23℃程度。日本近海では太平洋側に多く、日本海側ではほとんど見られません。また鰹は季節的に回遊をすることでも知られています。日本に近づくのは、九州南部を皮きりに黒潮に乗って太平洋を北上する「黒潮ルート」、紀州の南から北上する「紀州ルート」、小笠原諸島・伊豆諸島沿いに北上する「小笠原ルート」、そして伊豆諸島の東の沖合を北上する「東沖ルート」の4つ。やがて黒潮と親潮のぶつかる三陸沖まで達し、親潮の勢力が強くなる秋にUターンして南下を始めます。このような混合水域は海の生産量が高く鰹の餌も豊富にあるため、北上した頃に比べ、鰹は丸々と太って脂も乗っています。いわゆる「戻り鰹」として珍重されるのはこの時期の鰹。またこの移動する群れを追って漁をする一本釣り漁が有名です。

鰹はどんなふうに行動する?

鰹は24時間休むことなく泳ぎ続けています。その速度は時速30km前後。時速50~100kmものスピードに達することもあります。発達した筋肉を交互に収縮させて推力を興し、尾で水を強く叩いて力強く前進。また鰹は「鰹群(なぐら、なぶら)」と呼ばれる群れを形成して行動することも大きな特徴です。鰹の群れには次のようなものがあります。 鰹群(なぐら、なぶら)の種類 1,素群(スナムラ) 他の随伴物のない鰹のみの群れのこと。 2,瀬付き 岩礁や暗礁など、天然の餌が豊富で水温の高いポイントに周年に渡って棲みつく群れのこと。群れ自体はそれほど大きくありません。日本近海では、南西諸島や小笠原諸島の付近で見ることができます。 3,鳥付群れ 餌を横取りしようと、海鳥がその上を舞っている群れのこと。鰹漁の際の手がかりになります。 4,鮫付き・鯨付き ジンベエザメに群がる「鮫付き」と、ヒゲクジラに群がる「鯨付き」。鰹がカジキから身を守るためとも、鰹が集めた小魚を鯨が食べるためとも言われ、共生関係にあるのではないかと考えられています。 5,木付群れ 流木など漂流物の下に付いている群れ。小魚が多くいることから鰹が集まってきます。この性質を利用して、人口の漂流物を流して鰹漁が行われることもあります。

鰹の産卵と成長

鰹の産卵は表面水温24度以上の水域で行われます。一度に産む卵の数は、体長40cmほどのもので10万個、75cmほどのもので200万個と言われており、また一産卵期に何度も産卵を行います。卵は直径約1mmで、海面に分布する浮性卵。2日ほどで孵化します。稚魚は頭と目と口ばかりが大きく、成魚とは似ても似つかぬ姿。口裂は体長の4分の1にもなり、大きな目見つけた餌を捕食しやすいようになっています。多くの餌を食べた鰹は生後1ヶ月で体長4cmほどにまで成長、生後1年で約20cm、2年で50cm、4年で70cmほどにまで達します。日本近海を回遊するのは2歳魚あたりが主体で、年を重ねるにつれ太平洋中央部に集まるようになります。平均寿命は約8~10年。

鰹は何を食べる?

鰹は肉食性で、イカやタコといった頭足類、エビやカニ、オキアミなどの甲殻類、またイワシ類やトビウオ類といった魚まで、幅広く食します。生息する水域によって食性の違いが見られることもあります。 また鰹は餌を捕らえる際、群れで統制の取れた行動をすることでも知られています。イワシ等の群れを見つけると、鰹は横隊を形成し、徐々に群れを包囲。追い詰められたイワシは海面に浮きあがってきます。この状態を「エサ床」と言い、こうなると鰹は一斉にイワシに襲い掛かるのです。

鰹の歴史

鰹は古くから日本人と馴染みのあった魚。日本最古の歴史書・古事記にもその記述が見られます。ただし鰹が生食されるようになったのは鎌倉時代以降のことで、それまではもっぱら干して堅くしたものを食用としていました。そのため「堅魚」という名が付けられており、現在の「鰹」という名はここから生まれたものと考えられています。また鰹は古くから神饌の一つとされていました。神社本殿の棟飾りに用いられる「鰹木」も鰹の姿に由来するものと言われています。 戦国時代には、鰹節に「勝男武士」の字が充てられ、特に武士たちの間で縁起の良い食材として好まれるようになりました。『北条五代記』には、天保6年(1537)の夏に小田原沖で酒宴をしていると船上に鰹が飛び込んできたため、これを「勝つ魚」だと喜び、以降出陣の際には鰹を酒肴として用いるようになったという記録が見られます。また、かの織田信長も産地から遠く離れた岐阜城に生の鰹を取り寄せるなどして、家臣に振舞ったと伝えられています。 江戸時代になると、初物をもてはやす風習の中で春先の初鰹が特に珍重されるようになります。当時初鰹は庶民にとって手の届かない存在であり、“女房を質に入れてでも食べたい”などともてはやされたとか。山口素堂の「目に青葉山ほととぎす初鰹」をはじめ、様々な句や歌も作られています。一方現在では初鰹よりも、脂の乗った戻り鰹の方が人気を集めているよう。刺身やたたきといった様々な料理に、また日本料理に欠かすことのできない鰹節の原料にと、鰹は今も変わらず私たちの食生活に深い関わりがあるのです。